評価:★★★
2019年に発表された短編ミステリから、日本推理作家協会賞短編部門受賞作を含めた9編を選んだベスト集成。
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「夫の骨」(矢樹純) 第73回日本推理作家協会賞短編部門受賞作
60歳になり、看護師を定年退職した ”私”。夫・孝之(たかゆき)との間に子どもはない。
10年前、孝之の父が亡くなり、”私” たち夫婦は義母の佳子(よしこ)と同居することになった。佳子は夫の父の後妻であり、孝之とは血のつながりのない母子だった。その佳子も2年前に他界し、その後を追うように孝之もまた昨年、急死してしまった。
誰もいなくなった家で夫の遺品を整理していた ”私” は、小さな桐箱に収められた骨を発見する。それは、臨月の胎児か、生後間もない乳児の骨だった・・・
夫が持っていた幼い人骨という、なかなかインパクトのある謎で読者を引き込む。骨を前にして ”私” はさまざまな思いを巡らせ、やがて恐るべき想像に辿り着く。
これは読者の多くも思いつく発想だろうが、物語はその想像を遙かに超えて意外極まる着地点へ到達する。いやあこれはスゴい。受賞も納得の傑作だ。
「神様」(秋吉理香子)
アンソロジー『特選 THE どんでん返し』で既読。
語り手は女子高生のナナ。3か月前に家を出て、それ以来体を売って日銭を稼ぎ、ネットカフェで生活してきた。しかしクリスマスイブの今日、所持金は123円のみ。
いま彼女は『神様』を探してハンバーガーショップで時間を潰している。”神” とは、彼女の体を買って衣食住を恵んでくれる男のことだ。
そこでナナはルイという少女と知り合う。彼女は援助交際の ”達人” で、ナナに対して効率的な ”商売” の方法をいろいろレクチャーしてくれる。そこにヒロキという男が現れ、ナナは彼の自宅へ行くことになるが・・・
ヒロキがナナを誘った理由がまず意外なのだが、その後も状況は二転三転、想定外のラストを迎える。
サスペンス・ミステリとしてはよくできてると思うが、援助交際を生業にしてる女子高生が主役の時点で受け入れにくいものを感じてしまうのは、私のアタマが古いのか。
「青い告白」(井上真偽)
「神様」と同じく、アンソロジー『特選 THE どんでん返し』で既読。
偏差値はそこそこの平凡な県立高校に赴任してきた熱血教師・葛西(かさい)は、”生徒のため” と称してさまざまなプロジェクトを考案し実行していく。
その中のひとつ、”落ちこぼれ救済” のために立ち上げた「できる会」に参加していた女生徒・伊藤はるかが町の最南端にある岬の断崖から転落死を遂げる。
自殺とも事故ともとれる状況だったが、はるかの幼馴染みだった東(あずま)はクラスメイトの古橋薊(ふるはし・あざみ)の協力を得て、真相を探り始める。
とにかく、読み進めると意外な展開の連続で着地点の予想がつかない。探偵役となる薊さんの推理が導き出す真相も意外だが、それによって東君はどん底に。正義は人の数だけある、ってことか。
ラストシーンの薊さんのひと言で彼は救われた・・・と思いたい。
「さかなの子」(木江恭)
海沿いの町に暮らす浜崎正人(はまざき・まさと)は中学校の教師。父を亡くしたことで町を離れることになった教え子・窪田眞魚(くぼた・まお)のことを気に掛けている。
そんな正人の前に現れたのは週刊誌記者の霧島(きりしま)。二週間前に町で起こった殺人事件の取材に来たのだという。殺されたのは眞魚の父親だった・・・
倒叙ミステリとして進行するかと思いきや、終盤は意表を突く展開で、人間のエゴと悪意がむきだしになる結末を迎える。
「ホテル・カイザリン」(近藤史恵)
不便な山中にあるホテル・カイザリン。駒田鶴子(こまだ・つるこ)という女性がそこに放火した容疑で警察から取り調べられるシーンから始まる。
そして時が巻き戻る。鶴子にとってはホテル・カイザリンは唯一リラックスできる場所だった。嫉妬深い夫が海外出張に行くのに合わせて、鶴子はここを訪れていた。
鶴子はそこで八汐愁子(やしお・しゅうこ)という女性と親しくなり、月に一度だけ会う仲となっていく・・・
鶴子の哀しい過去と醒めた夫婦関係、そして放火に至るまでの経緯が語られる。すべてを精算したはずの鶴子だったが、最後に愁子の正体という衝撃が。
「コマチグモ」(櫻田智也)
短編集『蟬かえる』で既読。
女子中学生がミニバンにはねられる交通事故が起こり、同時刻、団地の一室で平朱美(たいら・あけみ)という女性が頭から血を流して倒れていると警察に通報が入る。
目撃者の証言によると、朱美の発見時、現場には彼女の娘・真知子(まちこ)がいたが、すぐに外へ駆けだしていってしまったという。その直後、交通事故に遭った中学生こそ、真知子だったのだ。
捜査員は、事件の直前に真知子と話をしていたという男・魞沢(えりさわ)と出くわす。変質者と間違われた魞沢くんだったが、彼はシリーズ探偵で昆虫好きという設定。彼が真知子と会話を交わすきっかけがトンボだったというのはいかにもである。そして彼の語る推理は、事件の様相を一変させるものだった・・・。
事件の背景は哀しいものだが、ラストの数行でちょっと救われる。
「傷の証言」(知念実希人)
精神科医の弓削凜(ゆげ・りん)は、日本有数の精神鑑定医・影山司(かげやま・つかさ)に師事している。ある夜、凜は影山とともに殺人未遂事件の被疑者の精神鑑定に赴く。
大学四年生の沢井涼香(さわい・すずか)が、二歳下の弟・一也(かずや)に刺された。一也は三年前に高校を中退後、自宅で引きこもり生活を送っていた。
凜は一也のふるまいから統合失調症と判断するが、影山は腑に落ちないものを感じているらしい・・・
影山は事件に隠された欺瞞を暴くが、犯人の扱いを含めて、全員に最善の道を示そうとする。作者が現役の医師でもあることを、改めて思い出させる。
「ウロボロス」(真野光一)
警察を定年退職した与武猛夫(よぶ・たけお)は、倉庫警備員の職を得た。与武はそこで、6年前からパートで働いている ”鈴木” という女性が、13年前に殺人事件を起こして指名手配されている佐多撫玲子(さたぶ・れいこ)ではないかとの疑いを持つ。
並行して、与武の辛い半生が語られていく。そして、5年前に癌で他界した与武の妻・智子は、生前に佐多撫と意外な接点を持っていた。
”鈴木”(佐多撫玲子)のことを探り始める世武だったが・・・
ラストの展開は、よく言えば幻想的、悪く云えば曖昧。ここに至りタイトルをウロボロス(自分の尾を飲み込む蛇)とした意味がわかってくる。
この結末には賛否があるかと思うが、私は好きになれないなぁ。
「嫌疑不十分」(薬丸岳)
杉浦周平(すぎうら・しゅうへい)は夜の公園で、前を歩いていた女性が落としたハンカチを拾って女性に声をかけた。しかし女性は突然騒ぎだし、逃げ去ってしまう。そして翌日、周平は痴漢容疑で逮捕されることに。
結局、嫌疑不十分で釈放されたが、世間は疑いの目で彼を見る。勤め先は解雇され、バイトの面接にも落ち続けることに。悩んだ周平は、「ブレイクニュース」というニュースサイトを運営している野依美鈴(のより・みすず)というYouTuberに相談する。野依はさっそく、痴漢事件について調査・取材を始めるのだが・・・
よくある痴漢冤罪事件を扱ったものと思いきや、事件の背後には意外に大きな闇が潜んでいたことが明らかに。結果として作者の掌の上でうまく転がされてしまうのだが、それがこの手のミステリの醍醐味でもある。
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