評価:★★★★
北朝鮮海軍の潜水艦が、大演習に紛れて軍を脱走した。それを駆るのは、祖国に絶望した艦長・桂東月をはじめとする精鋭乗組員たち。そして45年前に島根から拉致された日本人女性。
日本への亡命を目指す彼らの前に立ち塞がるのは、同胞たちによる執拗な追撃。空軍の攻撃機が、水上艦艇が、対潜ヘリが、そして東月の親友が指揮する潜水艦が・・・
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北朝鮮政治局の政治指導員・辛吉夏(シン・ギルハ)は、監禁生活を送っていた広野珠代(ひろの・たまよ)を連れ出した。彼女は13歳の時に島根の海岸で拉致され、以後45年間にわたって囚われの身になっていた。
二人は北朝鮮海軍の潜水艦11号に乗り込む。艦長は桂東月(ケ・ドンウォル)大佐。その日は陸海軍合同の大演習が行われる日であり、彼らはそれに紛れて軍を脱走、そのまま日本へ向かおうとしていた。
広野珠代はそのための保険だった。彼女を伴って亡命を申し入れれば、日本政府は彼らを見捨てるわけにはいかなくなるはずだから。
広野珠代はそのための保険だった。彼女を伴って亡命を申し入れれば、日本政府は彼らを見捨てるわけにはいかなくなるはずだから。
潜水艦11号の乗組員たちは、北朝鮮海軍きっての潜水艦乗りと謳われる東月に心酔しており、一方では祖国の現状に絶望の念を抱く者が多かった。もちろん、祖国への想いには個人差があり、中には脱北までは望まない者もいる。
そして首謀者の一人である吉夏は、かつて自分の叔父の不正行為を暴いて出世を果たした男で、手段を選ばぬそのやり方に嫌悪を覚える者も多かった。
潜水艦11号はそんな呉越同舟の者が集まった潜水艦なのだが、その波乱要因が緊迫のドラマを産んでいくことになる。
一方、逃亡する潜水艦11号に気づいた軍上層部がそれを見過ごすはずもなく、海軍は総力を挙げて執拗な追撃戦を仕掛けてくる。Su-25kスホーイ攻撃機、コルベット(小型水上艦)、カモフKa-27対潜ヘリ・・・
追っ手からの攻撃をかいくぐり、時には反撃に転じる東月。その緊迫した攻防が本書の大きな読みどころとなる。
同時並行で、東月が脱走に至るまでの半生も綴られていく。弟のこと、妻のこと、のちに親友となる羅済剛(ラ・ジェガン)との出会いのこと・・・
そしてその済剛は、潜水艦9号の艦長として追撃軍に加わり、最強の敵として東月の前に立ちはだかる。
ここまで書いてくると、海洋ミリタリーアクションかと思うだろう。それは間違いではないが、本書ではそれだけではないのだ。
巻頭に登場人物一覧がある。北朝鮮側のキャラが多いのは当たり前だが、対する日本人側をみると、読者の多くは意外に思うのではないか。そこには、海上保安庁の巡視船いわみの乗組員、そして島根在住の老人が二人。それだけしかない。
自衛隊員も、政府高官も、閣僚クラスの政治家も、名前は一切載っていないのだ。
何でこうなっているのかはネタバレになるので書けないが、作者が本作を書いた動機には、拉致事件を巡る政府の対応に対する非難の想いがあるのではないか。
かつては「拉致など存在しない」と言い放った政治家もいたし、「様子見」なのか「日和見」なのか分からないが、事態を放置していた政府そして政治家の怠慢もあった。
広野珠代のモデルは明らかに横田めぐみさんだろう。作中における珠代の置かれてきた境遇やその描写には涙を禁じ得ないと同時に、その理不尽さに怒りも湧いてくる。終盤の展開を読んでいくと、なおさらその思いを深くする。
軍事サスペンスではあるが、北朝鮮軍 vs 自衛隊 の派手なドンパチを期待すると当てが外れる。いや、戦闘シーンはしっかり描かれているし、ちゃんと盛り上がるのだけど、それだけではない作品だからね。
及び腰の日本政府・政治家とは対照的に、島根の二人の老人と最前線で事態に対峙することになった巡視船いわみの乗組員たちの行動は感動的だ。問題意識を持ってはいても、作者はそれをきっちりエンタメとして仕上げてみせた。
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