太宰治の辞書



評価:★★★

 ”日常の謎” ミステリというジャンルを切り開いた〈円紫さんと私〉シリーズ。『空飛ぶ馬』から『朝霧』にいたる全6巻で完結かと思われたが、17年の時を経て7巻目が刊行された。
 出版社の編集者となった〈私〉が、芥川龍之介や太宰治の作品を通じて感じた謎を追究していく。

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 文学好きな大学一年生の〈私〉が、日常生活の仲で出会った不可解な出来事を、落語家の春桜亭円紫(しゅんおうてい・えんし)さんが真相を解き明かしてくれる。


 そんなパターンで展開される〈円紫さんと私〉というシリーズは、”日常の謎” というミステリのジャンルを切り開いた作品だが、同時に〈私〉の成長の物語でもあった。
 『空飛ぶ馬』から『朝霧』にいたる全6巻を通じ、〈私〉は学年が上がっていき、終盤では大学を卒業して、出版社に編集者として就職していく。物語的にも区切りのいいところで終わったのでそれで完結といわれても納得だった。

 しかし『朝霧』から17年後に刊行されたのが本書。作中時間は一挙に20年以上跳び、〈私〉は40代に入った中堅編集者となっている。結婚して男の子が一人いる。実家は埼玉県だったが、いまは小田急線沿線に居を構えている。

 作中では ”連れ合い” と呼ばれる旦那さんとは共働きの生活。家事もきちんと分担しているようで、この家庭に於いてはワンオペという言葉とは無縁のようだ。男の子は現在中学生で野球部に入っていて、〈私〉はしばしば練習の様子を見に行っている。

 というわけで、後顧の憂い亡く(?)編集の仕事に取り組んでいる〈私〉だが、文学好きなところは相変わらずで、仕事とは別に、好きな作品を読んでいる。

 本作はその中で、芥川龍之介の『舞踏会』、太宰治の『女生徒』という作品を再読していた〈私〉が感じた疑問を追求していく物語。

 芥川龍之介はなぜ小説の結末を書き換えたのか? 太宰治はなぜ他人の書いた詩句「生まれてすみません」を自作のエピグラフに使ったのか?

 時の流れを感じるのは、編集者となった〈私〉が仕事で得たノウハウや人脈、そしてここ20年あまりで急速に発達したネットも駆使して、疑問の真相に迫っていくところ。

 円紫さんも登場するが、探偵役ではなく顔見せという感じ。こちらもすっかり寄席の大看板になっている。

 〈私〉の大学時代からの親友である高岡正子(たかおか・しょうこ)さんが登場するのも嬉しい。こちらも高校の国語の先生となっていて既婚で子どもあり。20年という時間は皆に平等に流れている。


 私自身は高校・大学と通じてミステリとSFしか読んでこなかったので、お世辞にも純文学に詳しいなんて云えない。だから本書の芥川や太宰やいろんな作家のいろんな作品に関する蘊蓄の数々も、いまひとつピンとこない(おいおい)。作者の博覧強記ぶりに畏れ入るばかり。

 それでも、シリーズを通して親しんできた〈私〉や登場人物たちが、日々元気に暮らしていることが知れて嬉しかった。

 シリーズの続編ではあるのだけど、私にとっては一冊まるまる〈私〉の物語の後日談みたいに思えた。ファンにとっては嬉しい贈り物になっているだろう。


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