四方を山に囲まれた鬼首村で起こった迷宮入り殺人事件。そして23年後、殺人の連鎖が始まる。村に昔から伝わる手毬唄の歌詞どおりに・・・
映像化も数多い、横溝作品の中でも屈指の名作ミステリ。
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舞台は岡山と兵庫の県境、四方を山に囲まれた鬼首(おにこべ)村。
昭和7年、日本の農村は大不況(昭和5年の農産物価格の暴落に端を発する ”昭和農業恐慌”)の真っ最中だった。そんなとき、鬼首村に恩田幾三(おんだ・いくぞう)と名乗る男が現れた。彼は不況に喘ぐ村民たちに、言葉巧みに副業としてのモール作りを勧めて金を集めていた。
村の湯治宿「亀の湯」の息子である青池源治郎(あおいけ・げんじろう)は、それを詐欺ではないかと怪しみ、恩田のもとに乗り込むが逆に殺されてしまう。恩田は姿を消し、事件は迷宮入りとなっていた。
その事件の数ヶ月後、村の娘・別所春江(べっしょ・はるえ)が女の子を産んだ。千恵子(ちえこ)と名付けられたが、父親が恩田だったため。母娘は追われるように村を去って行った。
しかし23年後の昭和30年。千恵子は ”大空ゆかり” という芸名で、超人気歌手へと成長していた。そして近々鬼首村を訪れることになった。
村の若者たちは彼女の ”凱旋帰郷” に沸き立ち、歓迎行事の準備を進めていた。
そんな中、金田一耕助は岡山県警の磯川警部の招きで村を訪れ、「亀の湯」に逗留することになった。
「亀の湯」は源治郎亡き後、妻のリカが継いでいた。そして磯川警部は23年前の源治郎殺害の捜査に当たった一人でもあった。
耕助は「亀の湯」で、かつて村の庄屋だった多々羅放庵(たたら・ほうあん)という老人と知りあう。しかし大空ゆかりが来村する前の晩から、放庵が姿を消してしまう。彼の住んでいた庵の状況から、殺されて死体が運び出されたものと思われた。
そしてゆかりが村を訪れた翌朝、村の旧家の娘・由良泰子(ゆら・やすこ)の死体が発見される。
現場は小さな滝の下。滝の水はいったん途中の岩に置かれた枡に流れ込み、そこから溢れた水が、横たえられた泰子の口にくわえた漏斗(じょうご)の中に落ちていく、という飾り立てをされて。
それは村に伝わる手毬唄の一節にある『枡で量って漏斗で飲んで』という歌詞のとおりの状況だった。
そしてここから、村の若い娘が次々に手毬唄に従った奇怪な飾り立てとともに殺されていく・・・
イギリスではマザー・グースという童謡があり、それを題材にしたミステリがある。横溝正史もそれをやりたくて、自ら手毬唄を創作したというが、その甲斐あって、いかにも和風テイストあふれる道具立てになり、孤立した山村や旧家の対立といったいかにも横溝ミステリらしい舞台にきっちりハマっている。
閉鎖的な舞台や全編を覆う猟奇的な雰囲気などに注目すると、『八つ墓村』と共通点が多い作品だと思う。
ストーリーの面白さやキャラの強烈な存在感という面では『八つ墓村』に軍配が上がるかと思うが、ミステリとしての出来では『悪魔の手毬唄』のほうが一段上のような気がするし、”見立て殺人” という面では『獄門島』に近いだろう。
手毬唄をはじめとする道具立ての巧みさもあるが、なんと言っても事件の背後に隠された ”秘密” がなんとも凄まじいまでに良くできてる。
よくこんな ”突拍子もないシチュエーション”(褒めてます)を思いついたものだと感心してしまうし、それが犯行の動機につながっていく過程には、なんと残酷な運命か(繰り返しますが褒めてます)と同情を禁じ得ない。このあたり、流石は横溝正史だと唸らされてしまう。
これを現代でやろうとしたら、”つくりもの感” がありすぎてほとんど無理だろう。しかし「昭和30年・山奥の孤立した寒村」という舞台設定に加えて語り口のうまさもあり、不自然さを極力感じさせないようにできている。これも ”匠の技” だろう。
そして耕助が犯人指摘に至る推理もきちんと筋道を立てて描かれていて、”謎解き” としての完成度も高いと思う。
物語の決着のつけ方も対照的だ。大量殺人という惨劇の後に、小さくとも新たな希望を予感させて終わった『八つ墓村』に対し、本書の結末の ”救いのなさ” は(全くないわけではないけれど)、数ある横溝作品でも一、二を争うんじゃないかと思う。
私が本書を読んだのは、記憶が確かなら4回目。
初読は中学生の頃。父の蔵書の中にこの本を見つけた。当時は角川文庫での刊行が始まったばかりの頃だったようで、家にあったのはハードカバーだった。
たぶんこれが私の ”初横溝”(笑)だったと思う(マンガ版の『八つ墓村』は既に読んでいたけど、活字本としては初めて)。でもその内容は中学生の私にはちょっと難解だったようで、あまり覚えていなかったよ(おいおい)。
それでも、本書の冒頭に「鬼首村手毬唄考」という文章と、手毬唄の歌詞全文が掲げられていたことや、金田一耕助が多々羅放庵と一緒に「亀の湯」につかるシーンとか、峠道で謎の老婆とすれ違うシーンとかも記憶にあった。
そしてなにより、ラストシーンで耕助が磯川警部にかける言葉が印象的なので、これもきっちり覚えていたよ。
そしてなにより、ラストシーンで耕助が磯川警部にかける言葉が印象的なので、これもきっちり覚えていたよ。
全体の話をきちんと理解したのは、大学生の時に角川文庫で再読したとき。既に横溝ブームが始まっていた。その後も40代くらいの時にもう一度再読してるはず。
そして今回、20年振りくらいに改めて再読したのだけど、ラストの金田一の言葉より、その1ページ前にある台詞のほうが心に沁みた(誰の言葉かはここでは書かない)。人間、歳をとると感激するポイントが変わってくるんだろう(笑)。
この一言があるおかげで、途轍もなく陰惨な物語を読み終わった重苦しさが、わずかながら軽減されたように読者は感じるのではないか。こんな台詞を言わせる横溝正史は、やはり希代のストーリーテラーなのだと思う。
本書は1977年、監督・市川崑、金田一耕助=石坂浩二というコンビで、『犬神家の一族』に続く第二作として映画化された。磯川警部役は若山富三郎。岸惠子演じる未亡人の青池リカに想いを寄せる、男やもめの中年男という哀愁に満ちた役を好演している。
大空ゆかり(別所千恵子)を演じたのは、当時24歳だった仁科明子(現:仁科亜季子)。彼女の美しさも特筆ものだ。機会があったら観ていただきたい。
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