評価:★★★★☆
時は大正時代。横浜で屈指の豪商・檜垣澤商店では当主が病に倒れ、その妻を中心とする女系家族が経営の実権を握っていた。
主人公・高木かな子は当主の妾の子に生まれたが、母を亡くして檜垣澤家に引き取られる。家族から使用人に至るまでが彼女を敵視するという過酷な環境の中で、孤独なサバイバルが始まる。しかしその中で、かな子は自らの中に眠っていた才を開花させ、密かな野望を育んでいく・・・
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檜垣澤(ひがきざわ)商店は当主・要吉(ようきち)が一代で築き上げた、横浜でも五本の指に入る豪商だ。
明治37年(1904年)、高木かな子は要吉の妾の子として生を受けた。しかし彼女が7歳になったとき、母が火災で亡くなってしまう。世間体を気にした檜垣澤家は、かな子を引き取ることになる。
やがて要吉は病に倒れ、代わりに妻のスヱ(すえ)が檜垣澤家の実権を握り、商売を差配するようになった。
要吉・スヱ夫婦の長女である花(はな)は婿養子・辰市(たついち)を迎えたが、主導権は花にあり、檜垣澤家のナンバー2の座を占めている。
次女の初(はつ)は、檜垣澤家の主治医である山名研介(やまな・けんすけ)に嫁いでいる。
花と辰市の間には三姉妹が生まれた。長女の郁乃(いくの)は婿養子・惣次(そうじ)を迎え、次女の珠代(たまよ)と三女の雪江(ゆきえ)は未婚だが、お互いに何かと張り合う仲。
このように、要吉が倒れた後も檜垣澤家は女系支配のもとで着実に発展しており、「檜垣澤家に男は不要」とまでスヱは豪語する。
かな子が引き取られたのは、このような家だった。スヱをはじめとする家族からは妾の子と蔑まれ、扱いは居候以下。そして使用人たちからは、羨望と嫉妬からくる嫌がらせが絶えない。
そんな過酷な環境の中で、わずか7歳のかな子の孤独なサバイバルが始まる・・・
かな子は自らの一挙手一投足に細心の注意を払う。些細な落ち度が彼女の立場を危うくし、ひいては檜垣澤家からの放逐にもつながるからだ。だから、一瞬たりとも油断はできない。
本書は、そんなかな子が長大な階段を一つずつ上るように、自らの地歩を固めていく様が語られていく。
読んでいてすぐ分かるのだが、かな子は並外れて聡明な少女だ。必要に迫られてではあるのだろうが、頭の回転が速く機転が利き、檜垣澤家の人間が彼女に向ける表情や身振り手振り口振りに込められた意味を、素早く見抜いていく鋭い洞察力もある。
そんなかな子の最大の ”敵” は、檜垣澤家の実質的な当主であるスヱだ。かな子の能力を早くから見抜き、様々な試練の場で彼女を試そうとする。
そこには ”鍛える” などと云う生やさしく甘っちょろい感情は一切ない。かな子という存在が檜垣澤家の役に立つのかどうか(言い換えれば ”道具” として使えるかどうか)、冷徹な目で見極めようとする。スヱの関心はそこにしかないからだ。
それを受けて立つかな子もまたスヱの思考や思惑を読みながら、目の前の難題の ”最適解” を探し続ける。そんな二人の ”頭脳戦” が本作の中でしばしば描かれるのだが、それが実に読み応えがある。
今でこそスヱは檜垣澤家を支配しているが、要吉と結婚するまでは文字の読み書きさえ覚束ない一介の田舎娘だった。しかし要吉が倒れたことで現在の地位を手に入れた。
スヱ本人の努力もあったろう。商売の才覚も持ち合わせていただろう。だがかな子に言わせれば「要吉の築いたものをそっくり受け継いだ」だけだ。
ならば、要吉の血を引く自分にもその権利があるのではないか? 檜垣澤家の一角に食い込み、いつの日かスヱと同じもの、いやそれ以上のものを手にしてみせる。そのために、今は歯を食いしばって自らの足元を固めよう・・・
年端もいかぬ少女の身でありながら、そんな野望を抱くようになっていくかな子。檜垣澤家という過酷な環境の中で、彼女は一歩一歩着実に成長を遂げていく。
本書の中盤では、かな子はスヱにある取引を願い出るのだが、このときのかな子が実にいい。スヱを相手にひるまずに真っ向から対峙する、堂々のタフ・ネゴシエイターぶり。かな子が要吉のDNAをしっかり受け継いでいることを読者に印象づけるシーンだ。
かな子自身の物語としても傑出して面白いのだけど、本書のもう一つの重要なピースはミステリ要素だ。
本書の序盤、檜垣澤家の蔵から出火するという事件が起こる。いち早くそれを発見したかな子の機転で大事にならずに終わったものの、焼け跡からは花の夫・辰市の遺体が発見される。
その真相も明らかにならないまま、これ以後も物語のあちこちで些細ながら疑問符がつく出来事が起こっていくのだが、それらすべてにはそれぞれ意味があった。
ばらまかれていた伏線がストーリーの進行と共に収束していき、それによってかな子は檜垣澤家が抱えた ”闇の大きさ” を知っていくことになる。
長大な物語故に登場するキャラクターも多彩だ。檜垣澤家以外では、山名医師の書生として登場する西原匡克(にしはら・まさかつ)が筆頭だろう。物語の要所要所でかな子の前に現れ、謎めいた言動で彼女を翻弄する、実に油断できないキャラ。彼の正体も本書のミステリ要素のひとつだ。
そして女学校で同級生となった子爵家の娘・東泉院暁子(とうせんいん・あきこ)は、かな子にとって無二の親友となっていく。
時代は大正。第一次世界大戦、戦後恐慌、スペイン風邪の大流行・・・。そんな歴史のうねりの中でも、商売の多角化を推し進め、軍との結びつきを利用して強かに生き残っていく檜垣澤商店は、やがて大会社へと成長していく・・・
ちなみに ”スペイン風邪” とは、1918~20年にかけて全世界で(もちろん日本でも)大流行したインフルエンザのこと。Wikipedia によると、推定感染者数5億人(当時の世界人口の約三割)、推定死者数は最大で1億人という史上最大のパンデミックだ。
本書は文庫で約770ページという大長編なのだが、かな子の「一代記」としてみるならば、まだまだ序章だ。彼女の(おそらく)波瀾万丈の人生は始まったばかり。
いずれ檜垣澤家の実権を握っていく(と思われる)としても、日本は太平洋戦争へと向かっていくことになる。彼女の前途には巨大な暗雲が待ち受けていることだろう。
しかしそれでも、終戦時のかな子はまだ41歳という若さだ。50代の頃には高度成長期が巡ってくる。
激動の昭和史の中を、かな子がどのように駆け抜けていくのか。一読者として追い続けていきたいという思いが抑えきれない。
ネットで拾った噂では、作者は続編執筆の意向があるらしい。本当なら朗報だ。一日も早くかな子さんと再会したいと願っている。
余計な話をひとつ。
本書の時代は、往年の名作少女マンガ『はいからさんが通る』と丸かぶりである。それに気づいたら、ネット配信でアニメ版を探してしまったよ(笑)。そしたら、2017~18年に制作された長編アニメ(二部作)を見つけたので、これから観ようと思ってる(笑)。
もっとも、主人公の境遇もストーリーの雰囲気も真逆に近いんだけどね(おいおい)。
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