みとりねこ



みとりねこ (講談社文庫 あ 127-7)

みとりねこ (講談社文庫 あ 127-7)



  • 作者: 有川 ひろ

  • 出版社/メーカー: 講談社

  • 発売日: 2024/04/12

  • メディア: 文庫








評価:★★★





 「猫」を主役に書かれた7つの短編を収める。

 『旅猫リポート』の外伝2編、『アンマーとぼくら』のスピンオフ1編を含む。



* * * * * * * * * *



「ハチジカン ~旅猫リポート外伝~」

 小学生のサトルが拾った猫は "ハチ" と名付けられ、彼の家の飼い猫になった。しかし両親が事故で亡くなったことで、サトルは叔母のもとで暮らすことに。

 行き場を失ったハチは、サトルの遠縁の家に引き取られることになった。そこにはツトムという、サトルと同い年の末っ子がいた。ツトムの成長にサトルの姿を重ね合わせながら、ハチの時間が過ぎていく。

 そしてツトムが高校1年生になった夏、サトルがハチに会いに来ることになったが・・・





「こぼれたび ~旅猫リポート外伝~」

 宮脇悟(サトル)は、"ある事情" で飼い猫のナナを手放すことになった。そこで日本中の知人を訪ねてナナの引き取ってもらえる先を探している。

 今回やってきたのは神戸。大学時代のゼミの恩師・久保田寿志(くぼた・ひさし)を訪ねることに。

 悟が学生の時に、久保田との間に "ある出来事" があって、二人の間には感情的な "しこり" が残っていたのだが・・・





「猫の島」

 長編『アンマーとぼくら』のスピンオフ。

 カメラマンの父は、母と死別した後に再婚して北海道から沖縄へ移り住むことになった。

 父の再婚相手は晴子(はるこ)さんというが、小学生のリョウ("ぼく")はまだ母のことが忘れられず、まだ彼女を「お母さん」とは呼べないでいた。

 そんなとき、父が突然「猫の島へ行こう」と言い出す。石垣島の近くにある竹富島だ。

 "ぼく” は、そこで知りあったおばあさんから、父と晴子さんがはじめて島にやってきた時の話を聞くのだが・・・





「トムめ」

 文庫でわずか5ページの掌編。

 飼い猫のトムとの日々の暮らしを、日記風に綴ったもの。





「シュレーディンガーの猫」

 佃香里(つくだ・かおり)の夫・ツクダケイスケは中堅の漫画家だが、漫画を描くこと意外は生活能力皆無な社会不適合者だった。香里は妊娠中から育児生活には多くの困難が待ち受けていると覚悟していた。

 ところが、香里の里帰り出産中にケイスケが捨て猫を拾ったことで、彼の生活は激変していく。猫の世話のついで(おいおい)に赤ん坊の世話もするようになったのだ。香里は呆れながらも「結果オーライ」とケイスケの変化を受け入れていくのだが・・・

 本書の中で一番楽しんだ作品。ケイスケが育児(育猫?)に悩んでSNSに助けを求める下りも面白いが、ネット民から帰ってくる "回答" がまた爆笑もの。

 まさに「終わりよければすべてよし」を地で行く作品。





「粉飾決算」

 貰い手がつかなくて家に回ってきた "トラ"、その次にやってきた "天"。

 2匹の猫が父と過ごしていく日々を、家族の目を通して描く短編。

 猫、そして家族との関わりの中で浮かんでくるのは、父の人間像。何事にも無頓着で無愛想、ついでに不器用。口は悪いが、それは気が利く言い回しが苦手なだけで、"飾る" とか "取り繕う" という言葉とはおよそ無縁。

 猫に対してもことさら可愛がる様子は見せないのだが、父に懐いていく様子から、猫たちには父の "心のうち" が見えていたのかも知れない。





「みとりねこ」

 桜庭(さくらば)家に飼われている猫・浩太(こうた)。20年間、次男坊の浩美(ひろみ)と一緒に過ごしてきた。そして最近、浩太はなぜか "肉球はんこ"(小皿に残った醤油などを肉球につけて、テーブルクロスの上などにポンポンしていく)を覚えて、お母さんに怒られてばかり(笑)。だが、浩太には浩太なりの理由があったのだ・・・

 ラストはなかなか感動もの。こんな話を読まされたら、泣いてしまうではないか・・・





 以下は蛇足。ちょっと思い出話をする。



 私の実家にも猫がいた。家の中で飼うのが当たり前の現代と違い、昭和の頃だから放し飼いが当たり前だった。



 最初の三毛猫(どういう経緯で飼われるようになったのかは覚えていない)は早死にした。



 二代目の三毛猫(どこかからもらってきたはずなのだが、そのへんの記憶も曖昧)は、なぜか先代に模様がそっくりだったので「これは先代の生まれ変わりだ」と家族と言い合ったものだ。

 一度、行方不明になったことがあって「どこかで車にでも轢かれたか」と思ってたら、ふた月くらい後にひょっこりと帰ってきた。いったい何があったのか。猫は話してくれないので今でも謎だ(笑)。



 二代目は初代よりは長生きしたが、私が中学の頃に亡くなってしまった。仔猫を産んだばかりの時だった(あの頃は不妊手術を受けさせる方が珍しい時代だった)。病気だったのか産後の肥立ちが悪かったのかわからないが、三毛が二匹、茶トラが一匹、白黒のぶちが一匹、計四匹の仔猫を残して逝ってしまった。

 三毛と茶トラはすぐにもらい手が決まったが、ぶち猫はなかなか決まらなかった。模様が地味だったからかも知れない(笑)。そんなときに母猫が急逝したものだから、ぶち猫は母猫の後を継いでそのまま実家で飼われることになった。



 数年後、実家が家を建て替えることになった。ぶち猫は棟上げが済んだ頃から、天気の良い日には組まれた材木のてっぺんまで登り、そこに座り込んで周囲を眺め回すようになった。自分の縄張りの確認だったのだろう。大工さんも猫好きだったのか、邪険にはしていなかったようだ。



 このぶち猫は、私が二十代後半になるくらいまでは生きてたので、当時としては長生きだったと思う。



 それ以来、実家では猫を飼っていないが、妹は嫁に行った先で飼い始めた。今でも三匹飼ってる。旦那より大事にしていたようだ(おいおい)。



 本書を読んだら、ちょっと昔を思い出してしまった。いまでも猫は可愛いと思うけど、放し飼いされていた時代を知っているので、家の中だけで過ごさせるのは可哀想だと思うし、何より死なれた時の哀しさに耐えられそうもない。だから飼わないことにしている。

 NHKでたまに放送される「猫歩き」が何よりも楽しみだ(笑)。





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