女王蜂



女王蜂 (角川文庫)

女王蜂 (角川文庫)



  • 作者: 横溝 正史

  • 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)

  • 発売日: 1973/10/15

  • メディア: 文庫









 伊豆半島の南、月琴島にある大道寺家は、源頼朝の血を引くとの伝説がある旧家。その一人娘・智子は18歳となり、”絶世の美女” へと成長していた。

 亡母の遺言に従い、島を出て東京の義父のもとで婿を迎えることになったが、彼女の周囲で男たちが次々と殺されていく。

 すべては、19年前に智子の実父が変死した事件に端を発していた・・・



 横溝正史ブームのさなかに映画化もされた有名作。



* * * * * * * * * *



 本書を始めて読んだのは高校生の頃。たぶん土曜日だったと思うのだが、学校帰りの昼下がりに近所の本屋で買った。家に帰って読み始めたら夢中になってしまい、夕食前までに文庫で400ページ以上あった本書を読み終わってしまった。当時の文庫は今よりも活字が小さかったのだけど、それも全く苦にならなかったよ。当時は近眼でもなかったし・・・なんとも懐かしい思い出だ。

 閑話休題。





 伊豆半島の先端・下田の南方沖に浮かぶ月琴(げっきん)島。そこに住まう大道寺(だいどうじ)家は、源頼朝の血を引くとの伝説がある旧家だ。



 昭和7年。この島を日下部達哉(くさかべ・たつや)と速水欽造(はやみ・きんぞう)という2人の若者が訪れた。二週間後、彼らは島を去るが、大道寺家の一人娘・琴絵(ことえ)は自分が妊娠していることを知る。父親は達哉だった。



 琴絵の懐妊を知らされた達哉は島を再訪する。しかし彼は "ある事情" から「日下部達哉」という名は偽名であり、琴絵とは結婚できないと打ち明ける。

 しかしその直後、彼は海に面した崖から落ちて死亡してしまう。



 "達哉" の親友だった欽造は、"ある人物" から依頼され、生まれてくる子と琴絵のために形式的に大道寺家に婿入りすることになった。以後、彼は東京に居を構えながらも、月琴島の大道寺家にとっての経済的な後ろ盾となっていく。



 そして月満ちて琴絵が出産したのが本書のヒロイン・智子(ともこ)だ。しかし琴絵は智子が生まれて5年後、早逝してしまう。



 生前の琴絵は、戸籍上の夫である欽造とは一度も同衾したことはなかったというが、彼は大道寺家の下女だった蔦代(つたよ)を実質的な妻として迎えており、長男・文彦(ふみひこ)を儲けていた。つまり智子と文彦は血のつながらない姉弟ということになる。



 そして時間軸は昭和26年へ。月琴島に暮らす智子は美しく成長し、18歳の誕生日を迎えた。彼女は亡き母の遺言に従い、祖母の槙(まき)、長年にわたり家庭教師を務めてきた神尾秀子(かみお・ひでこ)女史を伴って島を出て、東京の義父・欽造のもとへ向かうことになった。目的は婿選びである。



 しかしそれに先立ち、欽造のもとへは差出人不明の脅迫状が届いていた。



「警告

 月琴島からあの娘をよびよせることをやめよ。

 あの娘の前には多くの男の血が流されるであろう。

 彼女は女王蜂である」・・・



 そして、大道寺家の一行が東京への旅の途中で宿泊する修善寺のホテルには、はやくも3人の花婿候補たちが智子を出迎えるべく待ち受けていた・・・





 ・・・というのが、物語開始時点までの状況。こういう、不穏極まりない設定(褒めてます)を作らせたら横溝の右に出る者はいないだろう。



 そして物語が始まると、脅迫状の通りに智子の周囲の男たちが次々と殺されていく。

 欽造の顧問弁護士から依頼を受けた金田一耕助もまた、事件の渦中へと入っていくが、殺人の連鎖は止まらない。

 やがて19年前の智子の実父・”達哉” は転落死ではなく、大道寺家の密室内で殺されていたことが明らかになる。そしてその犯人として名が挙がったのは、智子の母・琴絵だった・・・





 本書のミステリとしての紹介はこれまでにしよう。whodunit(犯人当て)、密室トリック、ともによくできているのだけど、本書にはもう一つ、大きな要素がある。それはヒロイン・智子を巡る男たちのドラマだ。



 これ以降の文章は、一部ネタバレを含むので、これから本書を読もうと考えておられる方はスルーされることを推奨する。





 作中で "絶世の美女" と形容されている智子だが、いわゆる美少女とはいささかイメージが異なる。

 凛として気丈、名家の跡取り娘としての矜持もある。それでいて、”お姫様” 的な高慢さや虚栄心などは持ち合わせていない。至って常識的な女性と言えるだろう。

 これだけなら「文句なし」なのだが、実は大きな問題がある。それは彼女に、"女性としての魅力がありすぎる" ことだ。



 智子さんの周囲には、男たちを惹きつけ、その理性を失わせてしまう "場(フィールド)" みたいなものが発生しているようなのだ。

 そして厄介なことに、本人がそれを全く自覚していない(おいおい)ことが事態をややこしくしていく。



 要するに、智子さん自身に限って云えば ”正統派のお嬢様” なのだが、彼女の言動や立ち居振る舞いに ”惑わされて” しまった一部の男たちが、勝手に暴走し始めてしまう。

 結果として殺人事件に巻き込まれたり、"貞操の危機" を迎えたりと、なんとも波瀾万丈な運命に翻弄されることになる。

 こうなると、智子さんの「夫」というのは、生半可な男では務まらないことがおわかりだろう。



 そこで登場してくるのが、"日下部達哉" の父親、すなわち智子の祖父にあたる人物である。"彼" は物語の表舞台には出てこない(だがその正体は物語のかなり早い時点で明かされる)のだが、ずっと陰から智子の成長を見守ってきた。欽造と琴絵との縁組みを推し進めたのも "彼" である。



 智子の婿選びについても、欽造が用意した3人の候補者(みな良家の御曹司だが曲者揃い)が気に入らず、彼女にとって最もふさわしい(と "彼" が考える)人物を呼び寄せる。

 それが第四の求婚者・多門連太郎(たもん・れんたろう)である。かつて "彼" に仕えていた信頼厚い ”家臣” の息子であり、幼少時から見ていて人品・能力共に申し分ないと判断した男だった。しかし連太郎は若気の至りから道を踏み外し、悪の世界へ入り込んでしまっていた。



 そこで "彼" は、連太郎と智子を引き逢わせることを画策する。

 結果として智子に一目惚れをした連太郎は、彼女にふさわしい人間になるために、悪の道から足を洗って更生することを決意する。

 智子もまた、闇の世界で培われた(笑)、ちょいワルで野性味溢れる魅力を持つ連太郎に次第に惹かれていくことになり、"彼" の計画は成功したかに見えた。

 しかしその一方で、連太郎は連続殺人事件の重要容疑者として警察から追われることになってしまう。



 本書はミステリとしてはよくできていると思うのだが、智子と連太郎のラブ・ストーリーとしてみると、いささかバランスが悪いことは否めない。

 連太郎の出番自体があまり多くなく、たまに出てきても智子につきまとう怪しげなストーカーみたいに見えるという、かなり損な役回り。

 本格ミステリ要素とラブロマンス要素は、本作においてはトレードオフだと判断した横溝は、前者を採ったということなのだろう。

 終盤に至って、蓮太郎は警察に捕まってしまい、金田一耕助による真相解明後まで出番がないというトホホな扱いなのも致し方ないのかも知れない。



 でも、妄想するんだよねえ。私の素人考えなんだけど、いっそのこと金田一耕助は出さずに、殺人事件の容疑者に仕立て上げられた連太郎自身を主役にして、智子を巡る陰謀を探っていくサスペンス仕立てにしたら面白かったんじゃないかなぁ、なんて。そうすれば二人のロマンスももっと盛り上がっただろう。そんなバージョンも読んでみたかったな、と思う。





 本作は横溝正史ブームのさなか、『犬神家の一族』『悪魔の手毬唄』『獄門島』に続く市川崑監督の第四弾として1978年に映画化された。

 先行する三作と比べて、原作からの改変は多め。一番大きな点は、智子よりも、岸惠子さん演じる家庭教師の神尾秀子女史のほうが主役に近い扱いになっていることか。まあ、彼女は終盤のクライマックスで重要な役回りがあるので、この改変は理解できる。



 ちなみに智子を演じたのは、本作でデビューした中井貴惠さん(当時は早稲田大学の2年生で20歳)。"男を惑わせる" 要素は控えめで、どちらかというと活発で健康的なお嬢さんという雰囲気が前面に出ている智子さんだった。

 まあ、原作みたいな ”清純かつ妖艶” なんてキャラを演じられる若い女優さんはなかなかいなかっただろうからねぇ。敢えて新人を起用し、内容を改変したのも、そのあたりが原因かと勝手に思っている。



 余談だが、映画公開からかなり経ったころ、「もし山口百恵が智子を演じていたらどうだったろう」ってふと思ったことがある。百恵さんもこの頃は19歳だったはずだからね。

 でも実現するためのハードルはものすごく高かっただろうと思う。78年当時の彼女は人気絶頂期で、歌に映画にドラマにと八面六臂の大活躍中だったからスケジュールは満杯。とてもそんな余裕はなかっただろう。それに、映画に出るなら相手役は三浦友和と(ほぼ)固定化されていた(「ゴールデン・コンビ」と呼ばれてた)から。

 さらに、(今でこそ渋い役どころが似合うベテラン俳優になったが)当時の彼と多門連太郎では、イメージの差も大きかったし。



 ところがつい先日、ネットで「(本作のために)市川崑監督が山口百恵にオファーしていた」という噂を拾った。これがもし本当だったとしたら、私なんぞが思いつくようなことは巨匠ならばとっくに考えていた、ってことですね。



 市川崑監督の映画版では、多門連太郎は沖雅也さんが演じている。こちらのほうが原作のイメージに近いとは思うが、やっぱり出番は多くなく、ラブ・ストーリーとしては消化不良な感が否めなかった。

 智子の母・琴絵を演じたのは萩尾みどりさん。彼女の美しさも格別だ。

 欽造役の仲代達矢さん(当時46歳)が、映画の冒頭で20代を演じたのは、流石に無理があった(笑)。まあ、これもご愛敬と云うことで。

 そうそう、神山繁さんによる ”胡散臭さ全開の謎の行者(笑)” の異様な怪演ぶりにもぶっ飛んだ記憶があるなぁ。

 この映画、機会があれば一度観ていただくと話のタネになるかも(おいおい)。





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