評価:★★★
舞台は中国、南宋の時代。湖の中の島に建つ楼閣で、武術の達人・梁泰隆が死体となって発見される。しかし楼閣を取り巻く湖面は、外部からの侵入を不可能にしていた。
死の直前、泰隆は三人の武術家を呼び寄せ、そのうちの一人に武術の奥義を授けようとしていた。泰隆の愛弟子・紫苑は事件の真相解明に挑むが・・・
第67回(2021年)江戸川乱歩賞受賞作。
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時代は西暦で1200年頃。日本では鎌倉幕府初期。三代将軍源実朝、執権は二代目の北条義時の頃だ。
舞台は八仙島。南宋の首都・臨安に近い海に浮かぶ島だ。島の中には湖があり、その中央にまた島がある。そこに建てられた楼閣に暮らすのが武術の達人・梁泰隆(りょう・たいりゅう)。
泰隆のたった一人の弟子・蒼紫苑(そう・しおん)と、養女の梁恋華(りょう・れんか)は湖の畔の屋敷に暮らす。そして二人はただならぬ関係にあった。二人は愛し合っていたのである。いわゆる "百合" の関係なのだが、問題はそこではない。
武侠の世界では師弟は親子同然の関係となる。つまり紫苑と恋華は、血縁は無くとも "姉妹" であり、二人が愛し合うことは "近親相姦" に等しい禁忌事項にあたるのだ。
もしこの関係が明らかになってしまったら、武侠の世界からの追放はもちろん、生涯にわたって命を狙われ続けるという・・・なぁんて書くと、白土三平が描くところの忍者漫画の "抜け忍" みたいだな・・・と思ったあなたは昭和30年代生まれだ(私もだが)。
剛健だった泰隆も、10年前に吐血してからは摂生に努めていた。しかし年齢とともに衰えを感じたらしく、旧知の武術家を三人呼び寄せた。その中の一人に "奥義" を授けるのだという。
やってきたのは、泰隆の弟弟子だった蔡文和(さい・ぶんわ)。江南(揚子江の南)地方を支配する海幇(かいほう:海賊を狩る自警団)を束ねている。
同じく妹弟子だった楽祥纏(がく・しょうてん)。こちらは終曲(しゅうきょく)飯店を手広く展開する実業家となっている。
そして為門(いもん)。3000人の門下を抱える浄土教の僧の中で、随一の膂力を誇る男だ。
三人を招いた酒宴を終え、一人で島にある楼閣へ帰っていった泰隆だったが、翌朝に死体となって発見される。しかしたった一艘しかない小舟は島にあった。おりしも季節は冬で、低温の湖水を泳いで渡ることは不可能だった・・・
本書の特徴として、中国の武侠小説の要素を取り入れていること。
ある種の技を極めると、体重を極限まで軽くし、水面を走って渡ることができる・・・という武術が本書に登場するのだが、それでも島までの距離が長すぎてせいぜい半分くらいまでしか到達できないらしい。
本書が "特殊設定ミステリ" に分類される理由でもあるのだが、できることできないこと、可能不可能の限界もきちんと明らかにされている。
そして後半になって浮上してくるのが「奥義とは何か」という問題。
そもそも学問に王道が存在しないように、武術にも「これを知っていればOK」みたいなアンチョコは存在しない。
それを知っているはずの泰隆が、わざわざ "奥義" を名目に武術家を集めたのは何故か。殺人犯の探索とともに、"奥義の正体" もまた大きな謎として浮かび上がってくる。
もちろん最後にはどちらも明らかになるのだが、単なる一人の武術家の死に収まらず、南宋とその周辺国家を含む国際情勢が事件の根底にあったことが明らかになる。まさにこの時代だからこそ成立するミステリだったと云えるだろう。
集まった三人の武術家はみな五十代。彼らが交わす舌戦はユーモアたっぷりで笑わせるが、いずれも海千山千、数々の修羅場をくぐり抜けた猛者ばかり。
対する二人のお嬢さんは紫苑が23、恋華が18とかなり分が悪い。しかし師の仇を討ち、恋華との愛を成就させるため、紫苑はひるまずに立ち向かっていく。
正直なところ、"百合小説" なるものは苦手なのだが、本書におけるそのあたりの描写はかなりマイルドなので、私でもちゃんと読めたよ(笑)。感情移入もしっかりできて、二人には幸せな将来が来るように願ってしまった。
事件終了後、作者の筆は後日談を兼ねて、南宋の "その後" を語っていく。不可能犯罪を扱ったミステリとして始まった本書は、歴史の大きな流れを描いた物語として完結する。
ミステリとしての骨格もきちんとしてるし、キャラの描き方も上手い。乱歩賞もこういう作品が受賞するようになったんだと思うと、時の流れを感じてしまうなぁ。
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